丹羽良徳

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展覧会予定:
グループ展「T2 Collection ”Collecting? Connecting?”」
WHAT MUSEUM、東京
2024年10月4日ー2025年3月16日


ビエンナーレ: 2024 アジアアートビエンナーレ—How to Hold Your Breath
国立台湾美術館、台中、台湾
2024年11月16日-2025年3月2日


Micro Salon ミクロサロン
CADAN有楽町、東京
2024年12月11日-29日

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© 2024 Yoshinori Niwa
Email: niwa@niwa-saff.org



コンタクト

丹羽良徳
ウィーンスタジオ, オーストリア
niwa@niwa-staff.org

ギャラリー:
Edel Assanti
1B Little Titchfield Street,
London W1W 7BU,
United Kingdom
art@edelassanti.com
+44 207 637 8537
http://www.edelassanti.com/


Satoko Oe Contemporary
135-0021 東京都江東区白河3−18−8
第二杉田ビル1階
info@satokooe.com
+81 3 5809 9517
http://satokooe.com/


GALERIE ZIMMERMANN KRATOCHWILL
Opernring 7
8010 Graz
Austria
office@zimmermann-kratochwill.com
+43 316 82 37 540
http://www.zimmermann-kratochwill.com/


ウィーン制作日誌(2021年から継続中): 「2024年のまとめ」 2024年12月28日 いつも年末になると今年1年をまとめようかと思い立っては、やめてを繰り返したけれども、やっぱり少しだけ記述しておこうと思う。これは単なるメモというか記憶を整理するためのものなので、これ自体がどうなろうとも構ったことではない。今年は例年よりもアジア圏に旅行する機会が多くして、それにともなう国外滞在期間がながかったせいか、いつも時差ぼけしているような感覚があったし、幸いにも台湾や香港など亜熱帯地域に滞在したせいでいつもよりも夏を多く過ごすことができたと思う。 前半は第8回横浜トリエンナーレのために、2月頃から日本滞在し始め3月にオープニングがあったのだけど、そのあとも東京や福岡に滞在し続けて結局のところです5月下旬まで日本で時間を過ごした。そのまえに、日本に向かう途中のストップオーバーでアブダビに2泊泊まることができた、これが航空会社による無料サービスだからすごい。そのせいか、自宅がない都市にいるというのはどこかのんびりするものだという感覚でいたように思う。横浜トリエンナーレはアーティスティックディレクターのLiu DingとCarolが魯迅をキーワードにしながらさまざまな世界的な社会問題を捉えようとしていたのは面白かった。手法そのものは欧州ではさぼど新鮮ではないかもしれないけど、日本ではあまり見られないタイプの内容だとみんな言っていて、そういうものなのか(?)と若干疑問に思ったが、それ以上のことは言わなかった。いずれにせよ、よい国際展に参加できたのは間違いないと思った。ここでIngo Niermannや台南の你哥影視社(ユア・ブラザーズ・フィルムメイキング・グループ) などいくつかの欧州やアジアのアーティストらと会うことができて、2024年の後半で再会するのは面白かった。 横浜トリエンナーレの後、すぐにウィーンに帰ってもよかったのだけど、せっかくの長距離旅行をしたのだからと東京、名古屋や福岡に滞在している期間に、トモトシ美術館、名古屋芸術大学、九州大学、佐賀大学などからレクチャーの依頼を受けて連続的にトークすることになったのは、僕が日本にいれば交通費が安く済むから今のいちにやっておけというアイデアなんだろうか。大学の予算が限られているのだから、そうかもしれないが、これはこれでずっと会えていなかったいろんな友人たちとも再会できてよかったと思う。最終的には福岡の知人が運営するレジデンス施設に泊まることになった。そのあとはゆっくりのんびりした。さらに最後東京に戻ってから個展「ワークインプログレス:地球の裏側で戦争を終わらせる」も行うことができたし、このプロジェクトはまだかなりのんびりながら進行中である。 5月末ウィーンに戻ってからは、プラハMatter of Artというビエンナーレのオープニングに参加するなど、少しウィーン近郊のアートシーンを調査するなどしていたが、ここでもまたフィリピンのMerv Espinaと偶然会うなどして酒場に連れていかれたことくらいしか覚えていない。夏から秋にかけてはベニス、バルセロナ、リヨンなどの芸術祭を訪問することもできたのはよかったと思う。 9月前半からは、グラーツの芸術祭steirischer herbstのコミッションワークが始まった。墺選挙期間に合わせて作られた偽選挙ポスターの設置を行い、期間中にそのポスターを洗い続け、最後にはそれが消えてしまうというパフォーマンスを実施したのだが、設置初日から警察に作品を差し止められる。芸術祭側も知らされておらず、急な差し止めのため芸術祭も少々混乱。新聞記者にインタビューされるなどいろいろな状況が錯綜したが、翌日には呆気なく解除。これはポスターに使われた文言「JEDEM das UNSERE」がかつてドイツの強制収容所で使われたスローガンJedem das Seineに酷似(もちろん、これを意図的に引用しているわけだが)しているために、いわゆるナチス禁止法に引っかかる疑いで捜査されたというわけだ。しかしもちろん翌日その疑いは晴れた。これらの顛末は、オーストリアで大きな波紋と議論を呼び新聞やTVなどを合わせ驚くべきことに合計106件のメディア記事が掲載された。ちなみに横浜であったIngo Niermannもこの芸術祭に参加していて、一緒に酒を飲むことができた。 このあと一時的にウィーンに戻り10月からは台湾で開催されている「息を止める方法—2024アジアン・アート・ビエンナーレ」に参加するために、台中市に4週間弱の滞在をして映像作品の制作と展示作業にあたった。台湾は台北しか行ったことがなかったけれども、台中は電車で気軽に行けるような距離にあるし、どこか地方都市ならではののんびりと退屈さが共存するような街だったし、食べ物は安いし、人も優しいのでそれなりに楽しんだが、市内の公共交通機関の酷さ(電車もバスもほとんど使い物にならない)にはちょっと困ってしまった。そのあとは香港に10日ほど滞在したが、想像していたよりも香港という街はコンパクトだなと思った。 ウィーンに戻ってからはすぐにスイス・ベルンの芸術祭の調査、ロンドン滞在してもうすっかり年末になった。毎年のように思うことだけれども、今年はいくつかの国際展やコミッションワークに取り組むことができたのでよい年になったし、これらがいずれ新しいコミッションワークや展覧会に繋がっていくだろうと実感している。それよりも早くこの寒いウィーンをどうにかしてほしいものだ。今年はこれでおしまい。